A | 1.膿瘍 |
舌は誤咬や異物による外傷を受けやすく、口腔内細菌が侵入しやすい臓器であるが、豊富な血流や密な舌筋組織、唾液による抗菌作用や物理的・化学的作用により、膿瘍形成に至ることは稀である1)。舌膿瘍は、異物による損傷や咬傷などによる外傷性、咽頭炎や扁桃炎など口腔領域の炎症からの波及、口腔領域外の他疾患から続発性、および原因不明のもの(特発性舌膿瘍)に分類される2)。
本症例では腫瘤部の触診で波動は触知されず、圧痛も認められなかったことから、舌の腫瘍性疾患を疑い、生検や舌部分切除術による腫瘍切除を検討していたが、初診から6日後に腫瘤の増大とそれに伴う構音障害、嚥下障害、自発痛を認め、急患来院した。左側舌縁部は30×25mm大に腫大しており、触診で波動を触知した。局所麻酔下に試験的穿刺を行ったところ、膿汁が吸引され、舌膿瘍診断下に切開排膿処置を実施した(図3)。膿瘍腔内には異物は認められなかった。術後に改めて問診を行ったが、舌を誤咬した既往や魚骨迷入などのエピソードは確認できなかった。
舌膿瘍の原因は特発性のものが最も多く、次いで魚骨迷入など異物迷入によるものが多いとされている。特発性舌膿瘍の原因には、患者が自覚しない小損傷からの感染も含まれている。糖尿病患者は、貪食細胞機能低下、免疫担当細胞機能低下、血行障害、神経障害により易感染性で感染症が重篤化しやすいことが知られている。血糖コントロール不良の患者では、糖尿病の合併症である神経障害により知覚鈍麻を来し、自覚症状が乏しく軽度の炎症から重症感染症へ移行しやすい。本症例を基礎疾患に、コントロール不良の糖尿病を有していた。
舌膿瘍の診断には、血液検査で白血球数の増加やCRP高値、局所所見で粘膜の発赤や波動が触知される場合には診断が容易となる。しかし、舌は厚い筋層に覆われており、膿瘍特有の波動を触知しない症例が多く、腫瘍性疾患や嚢胞性疾患との鑑別を要する場合がある。さらに、慢性に経過した場合には、本症例のように急性炎症症状を示さないこともある。
舌膿瘍の治療は、切開排膿と抗菌薬の投与が行われる。経過はほとんどの場合良好であるが、深在性の舌根部膿瘍の場合には嚥下障害や気道閉塞を生じる可能性もあるため、進展例では気道確保、気管切開を考慮して治療にあたることが必要である。また、舌の筋組織内に残留した異物により症状の再燃や舌の機能障害を引き起こすことがあるとされているため、消炎後もしばらくの間は経過観察が必要である。
- 1)中村平蔵(編):最新口腔外科学 第3版.医歯薬出版,東京,1986:786.
- 2)河田政一,石沢博子:舌腫瘍症例.耳鼻と臨床,8:223-226,1962.
図3 切開排膿処置時の口腔内写真
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