外科的治療 | 非外科的治療 |
日本大学松戸歯学部 矯正学教室 |
山下利明+青島 攻 |
Angle.E.H によって専門分科としての近代歯科矯正学の扉が開かれ、1925年以降歯科矯正学は理論面でも臨床面でも急速な発達をとげてきた。
歯科矯正学の目標は、形態学的にも生理学的にも満足のいく咬合が得られ、その咬合と顔貌が調和し、改善された咬合が長く保持されることにある。
その目標達成のために、成長期であるなら成長コントロールを行い、上下顎の3次元的な調和を図ることが必要である。しかし、そのコントロールに反して上下顎の不調和が生じたり、成人ですでに上下顎の不調和を伴っているような症例に対しても、当初は外科的治療は一般的でなく、矯正治療のみで対応していた。つまり、顎骨の不調和を歯によって補うという形の治療でしかなかったのである。その結果、形態学的にも生理学的にも満足のいく咬合は得られず、その咬合と顔貌は調和せず、改善された咬合が長く保持されることも難しくなっていたのである。
しかし、今日、外科的治療(骨切り)のテクニックの向上および安全性の高まりにより、外科的治療併用の矯正が普及しつつある。とくに、下顎骨の形態的特徴から、下顎前歯の歯体移動の困難な下顎前突症例は、外科的治療併用の矯正対象となることが多くなっている。
ここでは、このような下顎前突症例の矯正を考えるうえで、外科的治療の併用と非外科的治療について検討を加える。
1.下顎前突症例の特徴
顔貌からみると、やさしい反対咬合では比較的良好であるのに対して、むずかしい反対咬合では下顎、オトガイ部の突出がみられる(表1)。また、歯列咬合からみると、やさしい反対咬合の前歯被蓋は深く、上顎切歯は垂直に近く、下顎切歯は前方傾斜している。むずかしい反対咬合では逆に前歯被蓋は浅く、上顎切歯は前方傾斜、下顎切歯は後方傾斜し、その程度は舌側の確認にミラーを使用する必要があるほどである。
これらのことより、やさしい反対咬合に分類されるものは骨格的に問題が少なく、歯のみの問題のため、非外科的に矯正のみで治療すべきものであることがわかる。むずかしい反対咬合に分類されるものは骨格的に問題があり、外科的治療も考慮に入れた治療方針を立てる症例であり、非外科的矯正治療か外科的治療併用か問題になるところである。
仮性下顎前突、やさしい反対咬合 | 真性下顎前突、むずかしい反対咬合 | |||||||||||||||||||||||||||||||
アングル分類 | アングルI級 | アングルIII級 | ||||||||||||||||||||||||||||||
顔貌 | 顔は比較的良好が場合と、顔面中央部に陥凹感を示す場合とがある。 | 下顎、オトガイ部の突出。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
歯列咬合 | 前歯部の被蓋は深い。 上顎切歯の傾斜は垂直に近い。 下顎切歯は前方に傾斜する。 臼歯部の咬合関係は正常か、またそれに近い。 |
前歯部の被蓋は浅く、開咬を伴うことがある。 上顎切歯は前方に傾斜する。 下顎切歯は後方に傾斜する。 下顎近心咬合。 |
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頭部X線 規格写真 |
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その他 | 下顎後退性可能。 歯槽性か、また機能的なもの。 |
後退性が不可能か、またはそれに近いもの。構造的なもの。 |
このような骨格的な症例においては、上下第1大臼歯関係のズレが大きく、臼歯部においても反対咬合になっていることが多くみられる。そこで、前歯部ばかりではなく、臼歯部においても拡大が必要となるが、その臼歯部の拡大は、成長期を過ぎているため、骨の側方拡大ではなく、臼歯の頬側傾斜による拡大となる。
また、矯正治療のみで上下顎骨の前後的関係改善を行うことは困難なため、上下前歯により被蓋の改善を行うことになる。むずかしい反対咬合は前歯被蓋は浅く、上顎切歯は前方傾斜し、下顎切歯は後方傾斜していると述べたが、そのうえ、下顎オトガイ部において骨の前後的厚さの薄いものが多く、下顎前歯の舌側移動の際には傾斜移動により一層舌側移動させることになる。また、上顎において被蓋改善のためには、上顎前歯の唇側移動の際、傾斜移動により一層唇側傾斜させることになる。このような非外科的矯正治療のみで下顎前突を改善した術前術後の顔面写真および口腔内写真を示す(図1、2)。
図1 非外科的矯正治療のみで下顎前突を改善した例。術前 |
図2 同、術後 |
口腔内写真より術後、被蓋は改善しているが、下顎前歯に過度な舌側傾斜が認められる。顔面写真より術前術後の顔貌の変化はほとんど認められない。頭部X線規格写真の重ね合わせでは、術後、上顎前歯唇側傾斜と下顎前歯舌側傾斜がみられる(図3)。それらによる被蓋の改善はみられるが、顔貌の変化はごくわずかであることがわかる。 | |
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3.外科的治療併用の場合
外科的治療により、矯正治療では動かすことのできなかった上下顎骨の位置的関係を正しくすることができる。
むずかしい反対咬合は、骨格の前後的なズレが原因して生じる。そこで、顎骨の前後的なズレを改善した際の不調和を術前矯正において改善しておく必要がある。以下に術前、術後の要点を記す。
1)術前矯正
1.術後の上下顎の犬歯間幅や第1大臼歯間幅を術前に調和させるために、上顎が狭い場合には、拡大が必要となる。
2.過度に唇側傾斜した上顎前歯は、舌側傾斜させる。そのスペースがない場合には上顎第1小臼歯の抜歯も考慮する必要がある。
3. 過度に舌側傾斜した下顎前歯は、唇側傾斜させる。
2)術直前
1.上下顎模型を咬合器に付着し、下顎または上顎の移動を咬合器上で再現する(モデルサージェリー)。必要であれば、術後の顎位でスプリントを作製する。
2.頭部X線規格写真より下顎あるいは上顎の移動をフィルム上で再現する(ペーパーサージェリー)。
3.上下顎の歯と歯の間に術中の顎間固定用フックをろう着する。
4.それらの資料をもとに口腔外科医と打ち合わせを行い、矯正医の考えを間違いなく伝える。
3)術後矯正
術前に行えなかった咬合の微調整を行う。また、術後の筋肉の順応が生じるまでの間、新たな顎骨の位置の保持を行う。
症例は咬合および凹型顔貌を主訴として来院した患者である。初診時の顔貌写真と口腔内写真を図4に示す。前歯は切端咬合、右側臼歯部にクロスバイトが認められる。
外科手術前の口腔内写真を図5に示す。上下顎の叢生および前歯歯軸が改善されている。術後の顔貌写真と口腔内写真(図6)をみると、正しい咬合と調和のとれた顔貌が認められる。頭部X線規格写真の重ね合わせ(図7)では、術前ANB-4°、前歯は切端咬合である。上顎歯軸改善のために上顎第1小臼歯を抜歯し、それに合わせ下顎骨を手術で約10mm後退させた。前歯歯軸ならびに顔貌の改善が認められる。
図4 外科的手術併用による矯正治療の例。初診時
図6 同、術後 図7 外科的治療併用症例の頭部X線規格写真の術前術後の重ね合わせ |
Angle 以来、矯正医は矯正治療により叢生、上顎前突、開咬、交叉咬合、反対咬合など、種々の不正咬合を改善してきた。現在までに、その治療方法や矯正材料に改良が加わり、よりシンプルに、より使いやすくなっている。
しかし、成長の終了した骨格性不正咬合の矯正治療に対しては、多くの矯正医が悩み、治療してきたが、患者の満足の得られる症例に仕上がるものもあれば、後戻りを生じ不満足な結果に終わるものもあった。そこに外科的治療が適応され、骨格の不正が正せることで、矯正医にとって悩みの一つを減らすことができたのである。著しい骨格性反対咬合において外科的治療の併用は異論のないところであると思われるが、その外科手術に危険が伴うことは止むを得ないことであろう。
これらは緊急を要する手術ではないので、より安全に外科的治療を行うために、患者の健康状態が良好であることが前提となる。たとえば、中隔欠損や弁膜症などの心疾患、B型・C型の肝疾患、腎疾患、高血圧、貧血、糖尿病、精神的障害などを伴った骨格性反対咬合は、その疾患の改善を図ったうえで外科的治療に臨まなくてはならない。しかも、それらの疾患の改善がうまくいかなかったときには手術の中止もあり得る。そこで、外科的治療の症例を扱う場合には、治療を始める前に、既往症や現在の全身疾患についてよく問診を行い、必要であれば臨床検査を実施する場合もある。
手術中の問題としては、神経への損傷や変性による術後の麻痺、血管や血管叢の損傷による出血などがある。下顎骨切りの場合、関節頭と関節窩の位置についていまだ明確な結論が出ていないため、その置かれた位置によっては、術後の顎運動に影響が出ることも考えられる。しかし、多くの症例において顎関節症の症状が改善されるという報告もある。
術後、一時的にオトガイや口唇などに麻痺が生じることがある。この回復には短くて3〜6ヵ月、場合によっては1年以上かかることもある。
また、骨片や筋肉の新たな位置での再付着および筋肉の新たな位置での順応が得られない場合、骨の後戻りが生じる。そこでこの順応が得られるまでの間、チンキャップによる後上方への牽引ならびに顎間ゴムによる後方牽引が必要になる。次に社会的問題として仕事や学校を休んで入院をする必要があり、社会復帰には骨が再付着する約1ヵ月は必要と思われる。そのうち約10日から2週間の入院が必要となる。
以上述べてきたように、さまざまな危険や制約はあるが、その結果得られる咬合や顔貌の改善には素晴らしいものがある。
非外科的矯正治療のみで行う場合には、外科手術は行わないために、上述の危険を避けることはできる。しかし、反対咬合改善のために、過度の下顎前歯の舌側傾斜、過度の上顎前歯の唇側傾斜を生じ、歯根が歯槽部よりはみ出し、その部の歯肉欠損が生じやすくなり、舌や咀嚼筋群などの生理的バランスが保持されにくくなることも事実である。
骨格性反対咬合は上下顎の前後的な位置のズレが大きく、側方歯群や前歯群すべて反対咬合を示すような症例では、その生理的機能の結果として現われている。したがって、その形態を非外科的矯正治療のみで改善するには、歯の傾斜移動とわずかな下顎の位置変化が行われるが、その生理的機能は順応しきれないことが多くみられる。
外科的矯正併用を行い、上下顎の位置関係および歯軸が改善され、形態が正常になったとしても舌の正しい機能、咀嚼筋の新たな位置における順応が得られなければ、やはり後戻りを生じる。しかし、形態が変化したことにより、生理的機能の順応が得られやすくなることはたしかである。
また、手術を矯正医が行うことは非常に困難なため、大学病院等の口腔外科に依頼することになる。
このように、ボーダーラインケースにおいては、患者一人ひとりの状態や術者一人ひとりの習熟度により治療方針が異なる。いずれにしても、種々の分析法を用いて診断してもなお治療方針が決まらない症例においては、外科的治療併用の矯正を選択することが治療結果、術後の安定、歯周の問題、顎関節の問題などによい結果をもたらすことになる。その手術に際して、口腔外科医との良好なコミュニケーションをとることが、非常に重要であることは言うまでもない。
一方、患者の全身状態などにより外科的治療併用の症例でありながら、矯正のみで治療しなければならない場合には、多くの妥協をする必要が生じる。そこで、患者にはどこまで治療可能かをよく説明し、理解を得たうえで治療を開始する必要がある。
【参考文献】
1) | 岩沢忠正、他:歯科矯正の臨床、書林、東京、1982. |
2) | 山本義茂、他:顎顔面変形症の外科的矯正治療、三樹企画出版、東京、1994. |